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Channel: Golden Child Plants -黄金の庭へ-
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フロックス・ミスティックグリーン

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今年もフロックス・ミスティックグリーンが咲いた。









栄養が足りないのか、場所があっていないのか、
フロックスは我が家ではなかなか増えていかない。

それで、あまり写真のバリエーションがないのだが、
それにしても、このお花の咲いていく姿は可憐だと思う。








いつかこのお花が、株立ちにたくさん咲くとよいのだが・・・・・。









緑のつぼみ、うすいピンクの花、フロックスだけど開ききらない花。
とても惹かれる特徴である。
特にこの緑のつぼみが素晴らしいのである。

でも、お庭に咲いているとちっとも目立たないのだが。








フロックス、もう少し栄養が必要なのかもしれない。
秋から冬にはちゃんと栄養を与えておかねばならないだろう。











斑入りツルニチニチソウ・ワジョージェム

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斑入りツルニチニチソウ・ワジョージェム
Vinca major 'Wojo's Jem'



中斑タイプで、外斑タイプよりも生育が遅い、という紹介だったが、
ほんとに生育が遅い。

ようやくここまで大きくなった感じである。









育てばとてもよいグランドカバーになるようだけれども、
いつになったらそんなに大きくなるのか、不思議な気持ちがする。


この斑入りの植物は、数年前からずーっとなんとなく鉢のすみっこにいる。
それで、なんとなく大きくなってきた。
今年、かなり大きくなったから、花もさくかもしれないな、と期待しているがどうだろう。








こういう、地味になんとなく大きくなっていく植物というのは、
数年経って初めてこんな植物だったのだな、という感想を抱くものである。

それぐらい、本来の姿・もしくはそれに近い姿になるのには時間がかかる。
そうして、なんとなく忘れてきた植物が、ある日きれいになってきたな、と思うのは園芸の醍醐味であろう。






トレニア・ブルーインパルス

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トレニアというのは、ちょっとぼんやりした花である。

しかし、この斑入りのブルーインパルスには参った。
これはとても素晴らしい。








何が素晴らしいといって、やはりこの斑入りの葉だ。

斑の入り具合は、非常に複雑で絶妙である。
花など期待する必要はないほどの美である。









赤味の強い茎などの雰囲気がまた非常によろしい。
花が終わった後の姿も、この赤い筋が非常に良いのである。
だから、花がらつみもあまり必要がない。

これに紫の花が咲くというのも、芸があるといわねばなるまい。
花の形も、多分他のトレニアとはちょっと違う気がする。
トレニアのぼんやり具合が好きでなかった自分としては、衝撃である。









夏は、植えるものが限られるのが実情である。
ましてや花が咲くものといえば、植える場所や目的を考えたら、選択肢はさらにない。
鉢に植えて楽しもう、という場合は、特に選択肢に悩む。

まず、ペチュニアは真夏になればあんまり調子がよくない。
というか、多分寄せ植えには向いていない?
蒸れに弱そうだ。










トレニアは、夏の暑さなどには非常に強いようだ。
とても大きくなるようだし、蒸れにも弱くないようだ。
そして、そのままかなり寒くなるまで咲き続けるようだ。









このトレニアに非常に満足したので、
別の普通のトレニアもそだててみたくなった。

夏だし、チャレンジしてみようか・・・・・。






我が家の猫のブラッシング

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我が家の猫は、我が家にくるまではブラッシングをしたことはなかったと思われる。

それで、最初ブラッシングをしたとき、何事かと驚いて、
ブラシに猫パンチを喰らわせまくっていた。

一回櫛を入れるたびに、強烈にパンチを喰らわせて逃げる。
シャーシャー言いかねない勢いである。

最初に買ったのは、実家で使っていたのと同じような、いかにも西洋のものなブラシである。
ファーミネーター、とか、そんなような感じのブラシ。
こちらのブラシが使い心地悪いのかと思って、他にも色々買ってみた。











紆余曲折を経て、結局今使っているのは、普通のラバーブラシである。










ラバーブラシは、我が家の猫たちの超お気に入りである。
ブラッシングにも最適であり、さらに獲物としてもとても良いらしく、
すぐにおなかの下に隠して蹴りまくったり、ねちねちとかみついたりと、さまざまな使用法がある。

まずはラバーブラシでがしがしとブラッシングする。
これが一番マッサージ効果があるのだろう、大好評である。
わらびちゃんはにゃおにゃおと言いながら、ご機嫌であるし、
サスケはわらびちゃんのブラッシング中に、横入りしてブラッシングを求めるほどのお気に入りだ。

一方で、これはおそらく人間に一番不評であろうと推察できる。

なぜなら、部屋中に飛びちる毛が半端ではない。
ブラッシングした付近のカーペットが真っ白になり、
猫も思わずくしゃみが出るほどに飛び散るのである。
暑いときなどは、人間も全身毛まみれになる。

最近全く使われなくなった理由として、
「ある品種の猫をブラッシングすると色がくろくなる
⇒全ての猫がそうなってしまう、という話になってしまったからだ」
という話が本に載っていたが、私見では違うと思う。

このラバーブラシというやつは室内でブラッシングするのに全く向いていない。
室内で飼ってる人たちが、このブラシを好んで使うとは思えないほどの、
尋常ではない散らかり様である。
カーペットどころか、猫自体も抜け毛まみれになるという、恐ろしい状態になる。

だが、このブラシを使うと、鋼鉄製のごっそり抜けるというブラシでは取れない毛が沢山とれる。
おそらく、堅い表面の毛を取る感じなのだろう。
これを使ってから、我が家の猫たちの手触りは見違えるようにツヤツヤ・ツルツルである。
高価なブラシよりも、数百円のこのラバーブラシのほうが効果があるとは?











その後、高かった鋼鉄製のブラシでアンダーコート的なものを抜く。
こちらのブラシは、堅い毛も抜けるのだが、人間のスキばさみのようなものなので、
堅くて長い毛は結構残る。
なので、ブラッシング後の手触り的にはあんまりよくない。
そして、猫からのウケもあまりよくない。
しかし、毛が飛び散らないのに、沢山抜けるという点では一番優秀だ。

その後、猫も全身抜け毛まみれになってしまっているから、
靴ブラシみたいなもので表面についた抜け毛を取る。
これがまた細かい毛を取るのにうってつけである。

と、以上のような3段階のブラッシングを行っている。












時間がかかるので、土日の食後に行っている。
特にラバーブラシが気に入った猫ちゃんたちは、
今までは食べたらすぐに散ってしまっていたのに、今ではブラッシング待ちである。
平日も「ブラッシングしないの?」的な顔で待っているので、ちょっと罪悪感が生まれる。

サスケに至っては、おなかまでブラッシングしてもらって、
足の内側まできちんとブラッシングを要求する。
が、我が家の猫ちゃんたちは、興奮するとかみつくので、様子を見ながら。

ブラッシングをすれば抜け毛が減るのかはよくわからないのだが、
とにかく猫ちゃんたちが気に入ってくれて、うれしいのである。

猫たちがブラッシングが大好きになるまで、一年かかってしまったのである。
まあ、もっと早くラバーブラシを手に入れていれば、そんなにかからなかったのかも。

ブラシを見るだけで、猫パンチを喰らわせて逃げていた頃が懐かしいぐらいである。
一年前、沢山の親戚一族にもまれて、明らかに餌を食べ損ねていたであろうサスケは、
ひげはほとんど折れていたし、背中の毛はハリネズミのように固かった。

ほんとはゆっくり食べたかったのに、獲られてしまうから、
のどに詰まる勢いで早食いしていたのも、もう昔のことである。






ニシキシダの夏

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ニシキシダ、という名前のシダは、非常に美しい。
普通のシダが緑色なところ、これは白というかシルバーというか、非常に素晴らしい。

ピューターレースとか、ゴーストとか、いろいろ細かく品種名があるんだけども、
あれこれ植え替えたりなんだりしてるうちに、どれがどれなのかよくわからなくなった。
どれもちょっとずつ違うから、それぞれの特徴があるのだろう。








でも、どれも元気にきれいなので、それでいいのである。
多分、一番白っぽい株がシルバーフォール。
この白さはちょっとすごい。

昔、このシダを初めて育てたとき、こんなにすごい色合いの植物があるなんて、
信じられない思いでいっぱいだった。
これが庭で大きくそだったら、どれだけ素晴らしいだろうと思って数年。








今ではお庭のあちこちにあるのだが、それなりに植え場所を選ぶので、
どこでも元気とはいかない。

が、あまり乾燥しないところでは、なかなかにきれいで、非常に大きくなっている。
一番よく育ってるのは、やはり鉢植えだけれども、庭に湿った場所があるならば、
うまくいくだろう。








こういう超絶的白、といった色合いの植物は、大体日本の気候には合わない。
でも、このニシキシダは、そもそも日本に自生しているものの選抜品種だから、
安心して育てられる。
そこも素晴らしい。









春の芽吹き時のちょっと不気味な色合いも、とてもよい。

水やりさえ適切だったら、夏でもほとんどダメージがないシダなので、
夏場も涼しげに過ごせる。

シダは、他の植物とは形も色も違うから、とてもよいアクセントにもなる。

お庭にはやっぱりギボウシとシダを植えたいものだ。









コロカシア・イラストリス

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コロカシア・イラストリス
Colocasia esculenta 'Illustris'


葉脈周りの派手なライムグリーン柄と濃いブラックグリーンがおしゃれなコロカシア。
最初はブラックの部分が多いけれど、葉の展開が進むとライムグリーンの部分が多くなる。

とても丈夫で、すぐに大きくなる。
育て方も特に注意点があるほどでもなく、水生植物を扱っているところでは、抽水植物の扱いをするように書いてある。
要するに、株元まで水につけて育てる。

でも、コロカシアは普通の鉢植えでも育つので、鉢植えでもよい。
どっちがよりよいかはわからないが、抽水植物的に育てるのがよいのではないか、という感じがしている。

なんと、暖地では外で越冬も可、ぐらいの情報もあるがどうなんだろう。
外で越冬できれば非常にありがたいのだが。









春先にとても小さな3号鉢で我が家にやってきたけれども、
植え替えて肥料をあげたら、その分大きくなった感じである。

ちゃんと水と肥料をあげるのがコツだろう。

やはり夏はコロカシア。
いろんなコロカシアを見つけてはそだてているけれども、やはり冬場が難しい。
毎度残念なので、今年は温室でも導入してみようかと真剣に考えている。







いつでもユッカがある

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ユッカが本格的に大きくなってきた。

むかしふんにゃりとしていた葉は見違えるほどにたくましくなり、
恐ろしいほどに姿勢が正しい。

むかし、あんなにしんなりしていたアレと同じとは?
今ではとても同じ品種とは思えないのである。
昔の姿はこちらから⇒








そろそろ花が咲くんじゃないか、そんな気がする葉の感じである。
中心部に妙に葉が集まってるというか、なんか花芽がでてきそうな感じというか。
そうしたら、よく写真でみる白い立派な花が咲くのだろうか。














もうでかすぎて全体を映すのがむずかしく、いつも何かの背景とか、
手前に写りこむ感じになってしまう。

そうして、いつもこのあたりの風景を支えてくれる。





銅葉のクロコスミア・ソルファタラ

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銅葉のクロコスミア・ソルファタラ
Crocosmia 'Solfaterre'

ついにたくさん咲いた。

去年、実家の花壇に植えてあって、土がぱさぱさすぎて倒れてくるものだから、
母に邪魔がられて我が家に来た、ソルファタラ。
こんなにかっこいいのに、一体何が不満だというのか、などと思って植え替え。
小さな球根ばかりだったけれども、こんなに茂ってくれてうれしい。

クロコスミアというのは、非常に丈夫だという。
多分そうなのだろうが、大本命のクロコスミア・ルシファーがなぜかうまく育たない。
球根買っても全く芽吹かないし、不思議で仕方ないのだが、
このソルファタラは非常によく育って、分球も非常に順調、花も良く咲く。
全部掘り上げたと思ったけど、実家の花壇にまだ残ってたので、また掘らないといけない。










ここに植え付けて一年目でこれだから、来年はもっとさくのではないか。
これが沢山増えたらかっこいいな、そんな期待が湧く。

非常に不思議な銅葉色である。
オリーブ色と言ったらいいのか、黄色系の茶色で、いかにも黄色かオレンジの花が咲きそうな葉の色なのだ。
従って、赤い花が咲く銅葉の植物とは一味違う。
それでいて、花はちょっとフリージアみたいな可憐さもある。
大きさもほどよく、ルシファーのように大きくはならないようだ。

不思議な魅力が満載のソルファタラ、来年はもっと群生してもらいたい。
今年は植える場所がなくて適当にここに植えてしまったけれども、
ここには似合わないので、来年は黄色系が似合う場所に移動したいなと計画している。
















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わいせつな意図を伴う単純所持も処罰の対象に!児童ポルノ被害から子供を救おう

猫派

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あなたは犬派?猫派? ブログネタ:あなたは犬派?猫派? 参加中

私は猫派派!


ブログネタ、参加する日がくるとは思わなかったが、
これは参加するしかない。








猫派か犬派か、と言えば、もちろん猫派である。
犬だったら、わざわざ様々の苦難を乗り越えてまで飼いたくない。
猫だからこそ、様々な苦労を乗り越えても一緒に暮らしたいのである。

ペットだったらなんでも良いわけではないのだ。

友人のご親戚が、ずっと飼っていたペットが死んでから、鬱になったそうで、
なんでもいいから買ってこい、ってことになったらしいが、間違っても自分の場合はそうった対応は慎んでいただきたい。
ゆめゆめ忘れぬよう、親類には告げておかねばならぬ。

なぜなら、あまり興味のない人からしたら、飼っていたペットが犬だったか猫だったかなんて覚えてないと思うのだ。
飼う側からしたらこんなに重要なのに、ほんと人間ってそういうもんだと思う。
まあ、そういうもんだよね。
それが人間の習性ってもんである。











習性、まさしく猫の習性というものが、非常に自分にとって素晴らしいと思えるのである。
まず、猫は他人のご機嫌など伺わない。
それは猫が集団行動をしない動物であるからであるという。

しかも、妙に正直。
猫は自分が用事がある時は、妙にまんまるの目でじっと見てくる。
でも、くつろいでいる時など、用がないときに目を合わせようとすると、非常にあからさまに顔をそむける。

そして、ある程度の年齢までは、永遠の三歳児であるから、非常におもしろい。
で、あるところを超えると急に賢者のようになる。

うちのわらびちゃんたちも、最近急に脱三歳児状態となり、あからさまに顔をそむけたりしている。
ちょっとさびしいが、これはこれで猫らしいので、良しとするしかなかろう。

というように、いろいろ人間目線で言葉でいえばこんな事なのであるが、
何がいいって、一言でいえば、一番身近な別の生き物であるということである。

猫は、通常飼うことのできる、人間の一番身近な「別の生物」である。
つまり、全く違うものさしを持っていて、全く計り知れない。
それでいて、ある程度意図を量ることができる。

昆虫や爬虫類だと、計り知れなさ過ぎて、全く共感できない。

猫は人間からしたら、全く理解できない・もしくは逆に憧れる習性を持っている。
でも、犬はなんだかちょっと人間に似ている。











しかも完璧にどんな動作もかわいいし、
どこをとっても美しいのである。

やっぱり猫派。




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マンフレダ・チョコレートチップの復活

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ずっと大切に育ててきた、マンフレダ・チョコレートチップ。

それが、あろうことか枯れそうになって、
あげくに去年花まで咲いてしまって、これは噂のお別れではないかとがっかりしていた。

しべまで黒いお花の様子はこちらから⇒










しかし、マンフレダは生き残った。
子株を沢山つくっているように見えるけれども、どうだろう。
去年に倍して葉の勢いがつき、葉も固くなってきたし、葉の密度が違う。

今までは、すぐに葉が折れていたけれども、今ではそんな雰囲気もない。
これまでのしんねりした状態とはだいぶ違う。

過去の姿はこちらから⇒










これは、期待できそうではないか。
肥料とかもあげていいものかちょっと悩むし、あとは日当たり頼みだったが、
こんなに密集した状態は初めてである。

もしかしたら数年後には株分けできるかもしれない状態になってきて、
非常に喜ばしい状態となった。

マンフレダは、アガベなどとは違って、下垂する姿が面白い。
比較的小さいころから、楽しめるのが良い。

さらに充実するには、もう数年かかるのだろうが、
気長に待っていたい。








暑い夏の日々

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暑い。

それにしても暑いのである。
庭仕事をしようにも、休み休みちょっとずつ、である。
休憩ばかりしているし、水かぶったみたいに汗をかく。
普段はエアコンの入っている部屋で仕事だから、とんでもなくひ弱である。

が、暑いに決まってる。
だってこんな山の中でも日中は35度ぐらいにはなる。
特に暑い地域は40度近い。








これは、インドとか東南アジア並みなのである。
それなのに、日本人は野外で日中仕事をしている人がたくさんいる。
日本も夏は生活時間帯を熱帯時間にすればいいと思うが、
この時期だけだとかえって大変なのかもしれない。

最近妙に暑くなってしまったという、にわか熱帯であり、
かつ暑くない時期が大半である日本では、夏に適応するのは大変だ。
植物だった何を植えたらいいかわからなくなるぐらいだ。

夏はもう熱帯の植物以外はムリ。
それ以外はギリギリ生きてるけど、鑑賞どころではない状態か、枯れる。
でも冬は熱帯の植物はムリ。
室内に入れたぐらいでは越冬できないものばかり。

従って、植物の植え込みが毎度忙しいのが日本の暖地の特徴である。









この暑い時期に、まことに強い光にさらされて、無事に生育をしている植物をみると、
ほんとにすごいなあと思うのである。
ああ、暑さにやられて枯れた、と思うけど、自分なんてほんの数時間も庭仕事できない。
写真も、光が強すぎて撮影できない。

この暑さのなか、元気な姿を見せてくれる。










そして、猫も案外暑さに強い。
猫ちゃんたちも、この暑い中お部屋で過ごしている。
クーラーをつけて行こうか悩むのであるが、夜つけていても、お部屋に入ってこないし、
休みの日につけておいても、なかなか入らずに、おしり半分だけお部屋に入れていたりする。

使うならつけてもいいけど、使ってくれないならば
もったいなくて仕方ないので、結局つけていない。

二階は全部窓は空いてるし、一階もあちこち開けっ放しにできる構造なので、
締め切っていないから、なんとかなるのであろう。

昔は30度超えたら猛暑日っていったのにねえ、と皆言ってしまうぐらいの暑さ。
休みの日に少し遅く起きて水やりすると、暑すぎてたまらない。
水やりは朝6時までにおこなうべし・・・・・。





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パンパス・プミラが満開

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ずっと憧れだったパンパス・プミラ。

普通のパンパスグラスはどうしたって無理な、
屋根を超えるサイズになりかねない。

よく田舎の畔に、なんとなく植えられたものがあるが、
その巨大ぶりといったらない。
一度植えたら終わり、撤去には重機を要するレベルである。









だから、小さなプミラを植えた。
といっても、決して小さいわけではない。
普通の住宅の小さなお庭では、庭の何分の一かを占めるぐらいになるから、
植え込みする時には実に悩んだ。

でも、これが見たくて数年、自分一人で動かせないような大鉢に植えたり、
でも日当たり悪いし咲かないからどうしようかと悩みつつ、ずっと育ててきたのだ。

これを植えて、やっぱり他にも色々植えたかった、と思う気もするし、
植えてしまったら最後、撤去は業者に頼まないといけないからと思いつつ植えた。

去年地植えして、一応根を制限する仕切りも入れておいたが、
それにしてもでかくなった。
去年は、数本しか花穂が付かなかったが、今年はすごい。










花穂が付きすぎて、葉が減ったみたいに見えるのだ。
これは、あの去年安城のデンパークで見た、素敵なパンパスに近づいたのではないか。
つぼみが出だしたころからちょっと期待していた。
その姿はこちらから⇒


わかっちゃいたけれど、去年の倍近いボリュームになった。
株間も空け過ぎと思うぐらい空けたはずだったが、なんだかもうぎゅうぎゅう。
でも、こんなにもたくさんのお花がつくとは。










まだ穂も出始めで、雨もほとんど降っていないから、
銀色に輝く美しい姿である。
大きすぎて、背景に隣家が写りこまないように撮るのも難しくなった。


でも、植えてよかったなあ、と思う。







サスケの死

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平成27年8月13日
しばらく全く降っていなかったのに、
夜中、急な雨風と雷に乗ってきたものと一緒にいってしまったみたいに、
サスケは急にこの世を去った。

多分、2歳か3歳。
まだ若かったのに、自分がもっと早く気付いていたら、
もっと長生きできたかもしれない。

自分がもっと猫の病気を勉強して、
すぐに行動していたら、こんなことにならなかったかもしれない。

死因は、心臓肥大と肺水腫。
レントゲンで見た心臓は、普通の猫の倍ぐらいに、
胸いっぱいに広がるぐらいの大きさになっていた。

肺は真っ白で、水がたくさん溜まっていた。


12日の夜、帰宅した時になんだか呼吸が荒かった。
前の日に病院に行って、首の傷をみてもらった。
猫のアレルギーということで、ステロイド剤と抗生物質を打ってもらった。
いきなりの異変なので、それが原因なのか電話で聞いたけれど、
医者は考えられないという。

この時に、もう診療時間外だから明日の朝と言わずに、
すぐに病院に行けば、その後は薬の飲まなければ生きていけないとしても、
もっと長生きできたかもしれない。

レントゲンをとればすぐに分かったのに、
なぜ定期検診でそういうことをしてもらわなかったのか。

今にして思えば、前の日はあまり食欲がなかった。
息が荒いという症状はこれまでなかったけれど、
いきなり落ち着いてしまった感はあったし、陽気にしゃべるのも減っていた気がする。
そういえば、餌を食べる時にのるテーブルにのる回数が減っていた気がする。

前日に病院に行ったときにも、この子よだれでてるよ、って先生が言ったけど、
緊張してるのかな、で終わってしまった。
今にして思えば、その時すでに苦しかったのに、気付かなかった。
もしかしたら、ここでいやな病院に行ったことがストレスになって、
一気に症状が悪化したのかもしれない。

夜中の三時半ごろ、ニャーっとすごい声で叫ぶ声が聞こえて、飛び起きた。
あちこちに吐いて、苦しんだサスケの、最後の一声だったのだろう。
驚いて、どこか対応してくれる病院がないか、電話した。

一件だけ、こんな夜中なのに電話に出てくれた先生がいた。
ちょっと遠いけれど、とにかく行くしかない。

もうゲージに入れることもできない状態だった。
電話したあと、洗濯かごを立てて、入ってと言ったら、よろよろと入ってくれた。
そのまま倒れて、多分、その時サスケはあの世に旅立った。

けれども、自分にはたとえもう死んでいたとしても、
出来ることはこれしかなかった。
だから、行った。
もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。
もう間に合わないと、どこかでわかっていたけれど、行った。

高速道路を使いたかったけど、こんな時間なのに、よりによってお盆だから
混雑の表示が出てる上に、事故渋滞まで起きている。

病院に着いたときには、サスケはもう治療の必要はない状態だった。
先生も、もう処置はできないけれど、原因を調べるレントゲンは撮れると言った。

このレントゲンの状態では、遅かれ早かれ、
こういった結果になったであろう、ということだった。
今となっては、詳しい原因は調べられない。
ただ、もしかして昨日寝る前に連れてこれば、助かった可能性はある。

定期検診などでレントゲン検査も行って、早期発見していれば、
可能性はあった。

先生は、もう魂のいなくなった猫の体を、白い箱に入れてくれた。
紙で作った花を入れてくれた。

家についたら、わらびがちぎれるような声で鳴いている。
家の外にいても聞こえるような声で。

わらびは、分かってるのわかってないのか、
サスケの体のニオイを嗅いでみたり、白い箱にやたらにスリスリしている。

それから、お葬式をした。
サスケは、小さな白い骨になってしまった。
骨は、小さなしっぽがやけに規則正しく並んでいるのが悲しかった。

ちょうどお盆で、たくさんの家族がペットたちの墓参りに来ていた。
こんなにもたくさんの家族達が、
一緒に暮らしたペットたちのお墓参りをしているなんて知らなかった。
そんな事、ずっと先まで自分の身に起きるわけないと思っていた。

家に帰ると、わらびがちぎれそうな声で鳴いている。
今までにこんな鳴き方をしていたことがあっただろうか。

何かを探すようにうろうろしてみたり、やたらまとわりついてみたり、
寝るときも暑いときは側によってこないのに、ぴったりくっついて寝ている。

もうずっと鳴き続けていて、鳴き過ぎて疲れて死んじゃうのではと心配になるぐらいだ。
夜中もずっとほとんど鳴き続けていた。
サスケがいなくなってから、ずっと鳴き続けている。
ずっとなかよしだったサスケがいなくなって、わらびも戸惑っているのだろう。
寂しいのだろう。

これから先、たった一人わらびを置いて仕事に行くのが不憫でたまらない。
でも、わらびは他の猫を飼ったとして、受け入れてくれるのだろうか。
寂しくなったから、受け入れるのだろうか。
いずれにせよわらびにも自分にも、サスケの死を受け入れる時間は必要だろう。


家にいれば、何をみても悲しみしかない。
家のどこで何をしていても、わらびとサスケがいたから、
どこにだって思い出はある。

二つならんだお皿も、もう二つもいらないんだと思うだけで涙がでる。
もう、あれもこれもこんなに必要ない。
だってもう一匹しかいない。
餌だってもうこんなにいらない。

この間買ったばかりのたくさんのおやつはどうするのか。
まだサスケに食べさせてない新作もあったのに、
きっとこれをわらびに食べさせるときに思うのだ。
サスケにもたべさせてあげたかったな、あんなにくいしんぼうだったのに。
わらび一匹なら、餌ももっと小さなパッケージで買わないと、鮮度が悪くなる。

寝床も一つでいいんだし、もうお出迎えにくる猫も一匹だけだ。
陽気な鳴き声もしないし、階段の上にちょこっと見える耳も一匹分だけだ。
何もかも二つあったものがつらい思い出でしかない。
ブラッシング待ちをしてるサスケはもういない。
二つならんだトイレも、一個でいい。
トイレの砂も、いままでみたいにたくさんいらないのだ。

あのおもちゃも、このおもちゃもやっぱり棺にいれてあげればよかった。
もっとたくさんおいしいものをたべさせてあげればよかった。
今週末と言わずに、もう一度ブラッシングしてあげればよかった。
熱いタオルで拭いてあげればよかった。
何をしてもそう思うのだ。


こんなに幸せでいいのかなあ、と思うぐらい幸せだった。
毎日家に帰るのが楽しみで、出張に行くのがイヤになった。

あと10年20年と、同じ幸せが続くと思っていた。
もっとたくさん猫を飼ってみたかったけど、わらびが嫌がるし、
こんなにかわいい子たちには二度と出会えないだろうから、
次のチャンスは20年後でもよかったのに、
何なら日本最長寿ぐらい生きてくれてもいいのに、
ほかの猫は飼えなくてもいいのに、
なんでこんなに早くいってしまったのか。

自分がもっと早く検診を受けさせていたらと、
昨日の夜に病院に行っていれば、
先生に食い下がってみてもらえばよかったと、何を見ても思う。
注射のせいじゃないから、別の病気、とだけいって、
呼吸が荒いならすぐに対処したほうがいいと言わなかった先生が憎くなる。

別に先生のせいじゃない、最終的には自分の選択なんだから、
自分のせいだなんてことぐらい、分かっている。

昨日まで、昨日の朝まではいつも通りのごはんを食べて、
いつも通りに階段を駆け上がって、ごはんごはんと言っていたのに。
いつも通り朝は起こしに来たのに、なんでこんな事になったのか。
思えば、首にできた傷を発見して、病院に行ったこと自体が、
神様がくれた最後のチャンスだったのに、それすらもつかみ損ねた。

お葬式から帰ってきて、ちょっと寝てから起きたら、
思いのほか悲しみと後悔が大きすぎて、困った。
心の底に重い痛みと苦しみがあって、とてもつらい。

これは、長引くのかもしれない。
月曜から、何食わぬ顔をして仕事に行けるだろうか。


だから、こんなこと書いてる。
書いて自分の気持ちを少しでも整頓したいからだ。

ブログも、いつもは一週間分まとめて書いてるのに、
なぜか13日分はアップし忘れてる。
今までほとんどそんなことなかったのに。
この日、このサスケが死んだという記事をアップする為に空いてるみたいだった。

この、自分の目の前で、家族同然にかわいがっていた猫が死んでいくのを見る、
という記憶をどうしたらよいのか。
自分の選択のせいで、死んでいく、そのつらさをどうやって
今後生きていく力に変えたらよいのだろう。

正直、ペットが死んだから悲しんでいるってことは、周囲の人に打ち明けづらい。
ちょっと共感しづらいのではないかと思うからだ。
だから、こういう時はやはりプロに聞いてもらうのが一番いいと思ったから、お願いした。
ペットロスの相談窓口もあるらしい。
とにかく、なんとか乗り越えなければならない事だけは確かなのだ。
この悲しみと苦しみが少しでも早く癒えるなら、なんでもしなければ。

重要な所で、いつも助言をくれるヒーラーさんは、
サスケとわらびの事も見てくれた。

サスケは、何で自分がここにいるのかわからなくて、
戸惑ってるけれど、好奇心いっぱいのようだ。
多分生きているときからそうなのだろう。
サスケは人間の都合であちこち転々としてきたから、
なんで我が家にいたのかもわからないだろう。

でも、好奇心いっぱいに過ごしてくれているならば、
結構幸せにたのしくやってくれているのだろうか。
おなか一杯ご飯たべてるのだろうか。
こんなにサスケの事を悲しんでるのに、
案外楽しく好奇心いっぱいにやってるなんて、
猫らしい奴だ。
でも、それでいい。
幸せに楽しくやってくれているなら、これ以上いいことなんてない。

こちらに送ってくるメッセージは、「あたたかくなってほしい」というような事だそうだ。
自分が諦めて、冷えた状態にしてしまった心の一部を、
サスケやわらびは知っていたから、
その冷えた状態があたたかくなってほしい、と言っているという。

手遅れになって死んだこと自体には特にコメントはないようだ。
でもそこはみてくれた方が気を遣ってくれたかもしれない。
私が泣くと、なんだか不安な気持ちを送ってくるから、
悲しんでほしくないと思っている、ということだった。

証明のしようはないけれど、
わらびは、サスケの魂が体から抜けて、空に昇っていたのが見えていた。
飼い主は、ショックを受けて魂が半分抜けた状態なのも見えるから、
自分も飼い主もお空に昇っていくんじゃないかと不安になっている、らしい。

わらびちゃんは、二日ぐらいずっとずっと鳴き続けている。
もうやめてくれというぐらい、ずっと激しく鳴き続けて、たまにちょっと眠る。
そして、ニュー・・・・ととても悲しそうに、つぶやくように鳴いて目を覚ます。
そうすると、また激しく鳴きだすのだ。

サスケがいなくなったことを、悲しんでいる。
普段、サスケがよくいた場所を覗いてみたりして、探している。
サスケが最期を迎えたときに入っていたかごのニオイをかいでみたりして、
気配を探している。
その姿を見るだけでとてつもなく悲しくなる。

家に帰ってきて、一緒に歩く姿は、もうたったの一匹だけ。
ごはんをたべに階段を駆け上がるのも、一匹。
いちいち涙が出る。

わらびちゃんは、二~三日経って、ようやく眠るようになって、
鳴かない時間も増えてきた。
でも、相変わらずべったりとくっついてることが多い。
なぜだか、今までそんな鳴き方しなかったのに、
サスケがよくやっていた鳴き方をするようになった。

その鳴き方が、どういう意味なのかは分からない。
でも、今まではサスケしかしなかった鳴き方をするのをみると、
まるでサスケの魂がちょっとだけわらびの中にいて、
わらびを励ましてくれているのかもしれない、という気持ちになる。
でも、一方で、なぜだかとても悲しい。

しぐさも、今まではサスケしかしなかったような事をする。
なぜなんだろう。

二匹そろって、ちんまりと前足を揃えて坐っているのを思い出す。
もう引っ越したいぐらいの気持ちになる。
でも、時間が経てば、いつかは思い出のある大切な場所になるのだろうか。

わらびちゃんに、「さびしいね、新しい仲間は必要?」と聞いたら、
目を細めてゆっくり瞬きした。
どういう内容の返事かは全くわからない。
別に、かもしれないし、必要、かもしれないし、今はまだいい、なのかもしれない。

どの答えであっても、
わらびが他の仲間が必要ないのであれば、私もそれでいいのだ。
わらびちゃんが健康で幸せに長生きしてくれれば、それでよい。

サスケはどこにいるのだろう。
そこはどんな所なんだろうか。
楽しくやってるだろうか。
ごはんを沢山食べてるだろうか。
いい所なんだろうか。
サスケはなんて言ってるんだろうか。

はやく戻っておいでよ。
そこで遊ぶのが飽きたら、わらびと私のところに戻ってきて欲しい。
新しいからだをもらって、
今度は長生きできる健康な体に入って、早くおいでよ。
ほかの新しい猫じゃなくて、サスケに戻ってきてほしい。

朝、目が覚めるとついそう思って泣いてしまう。
夢でもいいから、会えないかなと思ってしまう。
会っても自分には何を言ってるかわからないと思うけれど。

心臓肥大の事を書いたページを沢山みた。
もう、どうしようもなかった、そういって欲しくて、その証拠をさがしているようなものだ。
でも、軽症のまま長く生きることもある、そういうページをみては涙が出る。

サスケのお骨が置いてある霊園におまいりに行った。
お花は、庭のお花を持って行った。
あまりお花はない時期だが、グラスがきれいだから、グラスにした。
これならば、サスケがおもしろがって飛びついてきそうだ。

行くと、また新しい骨壺が増えていた。
こんなに毎日、お空にいってしまうのか。
誰かがかわいがっていた動物たちが、こんなに毎日旅立ってしまう。
一方で、どこかで毎日新しい命が生まれているのだろう。





どう終わったらいいかわからないですが、
ここまで読んで下さった方々にお礼申し上げます。
聞いていただいて、ありがとうございます。




紅蜀葵

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この、紅蜀葵(こうしょっき)とも呼ばれる赤い花が、
昔から好きだった。
白もきれいだけれども、やはり赤であろう。

案外簡単に交雑してしまうらしくて、色んな花の形がある。
ハイビスカスのような感じになってしまうものある。










だが、私が好きなのは、隙間の多いシンプルな花である。
できればこの花が咲く株が欲しいなとおもって探していた。

しかしながら、案外売っていないものである。
ようやく見つけてうえてみたけれども、良く育たない。
植えた場所が良くなかったとしか思えない。
それでよく調べたら、実は湿地の植物だそうだ。









うりゅうさんが、これは年中腰水で育てている、っていう記事を
お書きになってるのをみて、これは大分軌道修正しないと育たないということで、
乾燥した花壇から抜いて植え替えた。

いくら丈夫で夏に元気な植物とはいえ、どうだろう、
いきなり環境が変わりすぎるのもダメなんじゃないか、と思ったけれども、
どっちにしてもかなり元気がないから、もうやってみるしかない。









大きめの鉢に植え替えて、様子を見る。
葉っぱが一枚、また一枚と黄色くなっておちてしまって、
もしかしたらダメかもと思ったけれども、
ついにきれいな花が咲いた。


こんな立派な花がたったの一日でしぼんでしまうとは、
実に豪快で潔い花ではないか。










汝が為に鋏むや庭の紅蜀葵

高浜虚子がそういう句を詠んだそうだ。
なくなった孫の為に読んだ句だという。

美しく咲いた花は、4時ごろには元気いっぱいに咲いていたのに、
5時に見たときにはしぼんでしまっていた。
なんだか奇妙に儚い。

この大好きな花の儚さを、今は悲しい気持ちで見る。

今年初めて咲いたこの赤い花は、一つはサスケの為に。
行く道が明るく照らされるように。

もう一つの花はわらびちゃんの為に。
元気になって明るく過ごせるように、力を分けてもらえるように。

来年はもっとたくさん咲くように、丈夫に大きくそだてようと思う。








コリウス・ミッドナイトグリーン

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コリウス・ミッドナイトグリーン

なかなか風情のあるコリウスである。

コリウスと言えば、なんとなく赤とか黄色の激しい色合い、っていうイメージであるが、
このミッドナイトグリーンは、渋い色合いである。

黒、グリーン、ピンク、のような色合いが複雑に混じっている。
でも、ピンクは非常にうっすらした感じなので、全体としては黒、という感じに近い。










夏場は、とても元気な黄色と赤のコリウスもとても好きなのだが、
こういう渋い色合いのコリウスもまた良いものだ。
夏のニューサイランなどにとてもよく似合うと思う。










葉の質感は、厚くてぱりぱりした感じ。
大抵のコリウスは、薄くて葉っぱに水が沢山ありそうなのに、
このコリウスは妙に乾燥したような葉をしている。

この雰囲気も他にない感じかも、と思う。










夏はやはりコリウス。
どこか懐かしいような雰囲気もありつつ、
元気に茂る姿はなんだかとても素晴らしいものに思える。

ひぐらしが鳴く頃になると、夏は妙に寂しい。
なぜだかわからないけれども、妙に寂しさがある。





黒花アスター・アンライズの謎

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去年、黒花アスター・アンライズという植物を手に入れた。
とても面白いアスターで、黒っぽい不思議な状態である。
ただ、今年はあまり黒い雰囲気はなかった。

去年の姿はこちらから⇒









咲いているのか、いないのか。
良くわからないけれど、面白い姿である。


ただ、この植物はすぐに汚い状態になってしまう。
病気なんだろうか、葉が全部茶色になって、全て落ちてしまうのである。

花は面白いけれども、葉は咲く前から鑑賞には適さない状態になっていってしまう。
葉が元気な時期にこれというのは、ちょっと嫌なので、葉を取っていくのだが、
おいつかないぐらいアッという間である。

なにか消毒をしたほうがよいのだろうか。











それで、今年も咲いたあとは全部切り取ってしまった。
あとに残るのは、葉もなく茶色の棒だけである。

枯れるのか、と思うけれども、枯れない。
根元からも、茶色の棒きれになってしまった所からも、
青々とした芽を吹くのである。









今年も、青々とした芽が吹いてきたので、とりあえずは安心である。
春先はきれいだけれども、6月以降ぐらいからずっと葉が汚くなってしまう、
この植物は来年はなにか消毒してみようかと思う。
ほかの植物はなんともないのに、このお庭に越してきてから、アスターが全部ダメ。
なぜなんだろう。

ジニアも似たような状態になるのが、悩みである。







トウガラシ・ブラックパール

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トウガラシ・ブラックパールが大きく育ってきた。









この黒い葉は、非常に素晴らしい。
夏の暑さがへっちゃらで、真っ黒の葉は、少し日当たりが悪い部分は緑色。
この色合いの妙がまた良い。









ナスのような小さな花が咲いて、実がなるのだけれども、
最初は黒いつやつやの実である。
なるほど、ブラックパール。
そう思うようなきれいな実である。


これが、熟すと赤い色に変わる。
この赤もなかなかによい色合いで、黒い葉に赤い実という組み合わせがいいなと思う。










夏場は、やはり夏に元気な植物がいい。
元気で、葉をのびのびと伸ばして、夏という時期の贈り物の素晴らしさを
感じさせてくれる植物がいい。

夏だからこそ、葉を茂らせてうつくしい姿をした植物をみたいと思う。
春のかわいらしい花々もいいけれど、
夏の豊かさを感じさせる植物は、もっと良い。


ヤマアジサイ 由布残雪

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ヤマアジサイ・由布残雪


初夏に購入した、ヤマアジサイの由布残雪。
思いのほか良かった、というか、実は欲しい種類だったということが分かった。


ヤマアジサイは、咲いている所もよいけれども、
やっぱり葉の美しさを見られるものがよい。
それで、黄冠とか紅冠雪とかが好きだった。

何かそういう葉が面白いヤマアジサイがないかな、とは思っていたけれど、
なんとなく買った小さな苗が、実は夏場に葉に変化が出る品種だったのだ。

春までは、全体に斑が入る葉だった。
苗の姿だと、斑もどんな斑なのか今一つわからないので、
好みではない斑の可能性もあるわけだ。

山野草などを売ってるサイトは、写真については非常に不親切だったりするから、
何がどう違うのかなんて全く分からない。
知ってる人だけが買う、それでいいということなのだろう。
でも、知らない人にももっと魅力を知ってもらえるサイトを作ってほしい、と常々思う。

小さなポットに入っていたから、水切れ対策も兼ねて6号鉢に植え付けた。
葉は立派に伸びてきて、ちょっと前まで小さな苗とは思えない状態になった。
置き場所もちょうどよかったらしい。

すぐそばにある大きな鉢のヤマアジサイは、葉っぱはぼろぼろなのだが、
ちょっとした場所の違いで、気温や水の消費も違ったりするのだろう。









葉の形はふっくらとしていて、喜ばしい雰囲気がある。
そして、夏になると、てっぺん部分の黄色斑だけが増えて、花が咲いたかのようになる。
自分の中では、ヤマアジサイはこういう所が好きなのである。

出会えてよかった、そう思った。




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